teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ぽろりっ(0)
  2. 返信ありがとう(0)
スレッド一覧(全2)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


靖国神社宮司不敬発言

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2018年10月15日(月)19時31分35秒
  靖国神社の小堀宮司が、今上陛下を批判したとして辞職した。

週刊ポストなどの記事の通りの発言なら、まあ不敬であることは確かですが、この小堀宮司の御意見も、まんざらすべて間違いというわけでもないでしょう。

靖国神社を親拝されなくなったのは、昭和天皇の時代にすでに
政教分離の問題や、公式参拝・私的参拝問題。日本にとっての歴史観が複雑に絡み合い、最後に中国・韓国の反日機運に火をつけたのが朝日新聞という流れでしょう。

中曽根康弘総理が、当時の友人と称していた国家主席の為に、参拝を見送ったと発言していましたが、しなくてもいい無用の配慮でしたね。

これを機に、橋本龍太郎首相時代の1回を除いて、小泉総理大臣が出てくるまで長きにわたり、総理大臣の靖国参拝は控えられるようになりました。

総理大臣ですら自由に参拝できない空気が漂う日本。
この状況で、天皇陛下が靖国に赴かれる事は極めて困難であると理解し、 親拝したのちの問題が、内外をひっくり返したような状況になるでしょう。

その点に関しては、靖国神社自身や保守系・愛国派政治家や団体は皇室を支えて、護り切れる実力・自信・責任は持ち合わせているのだろうか?

単なる自己満足の、愛国談議に終わるようでは現状と変わらない。

一方、確かに今上陛下におかれましては、皇太子時代を除きまして、即位以来 平成の御世の間、一度も親拝されていない。大御心を知る由もありませんが、 今上陛下は靖国神社に対して、どういう感情を抱かれているのか?

毎年、勅使を出されている神社だから、いつも気に留めている。
そういう事なら、良いのですがね・・・・・・・

『靖国を頼む』という言葉が伝えられてはおりますが、平成最後の
年に電撃親拝されるというのも、良いのではありませんかね?

次期・天皇・皇后たる徳仁親王殿下と雅子妃は、
当然ながら一度も靖国神社に参拝はされておられません。

畏れながら、今上陛下が即位されて以来、平成の御世は日本衰退・凋落・混乱・崩壊の兆しがあらゆるところに散見され、天変地異も甚だしく皇室にもその影響が出ております。平成元年に、靖国神社を親拝されるべきではなかったか?

まあ、どちらかというなら靖国問題は、日本人自身の問題
でもあり、皇室が直接絡むべき問題でもないのかもしれない。

願わくば、30数年来の御親拝を強く望むものであります。
 
 

陛下の真意は向こう三代の確立

 投稿者:YoJi  投稿日:2018年10月 9日(火)11時45分27秒
  >陛下の真意は向こう三代の確立

天皇陛下が来年4月末に退位、翌日「上皇」となり、皇太子殿下が第126代の天皇に即位する。同時に弟の秋篠宮が「皇嗣殿下」になるので、その長男の悠仁親王がそのまま皇位継承第2位に繰り上がる。

 誰もがそう理解して疑わないと思っていたら、どうもそうではないらしい。以下、正確を期するために、あえて尊称や丁寧な言い回しを省くことにする。

 正月早々、左派ジャーナリストの田原総一朗氏が「女性セブン」誌のインタビューで、「秋篠宮さまに続いて、愛子さまが天皇に即位されるべきだ」と述べた。

 これに即座に反応したのが漫画家で保守の論客である小林よしのり氏で、「秋篠宮の後では遅すぎる。皇位継承の基本は<直系>であるから、新天皇の次は愛子さまだ」と自分のブログで反論したのだ。

 さあ、これは一体どういうことだろうか。男女平等の価値観を前面に押し出す左派と、直系を主張する保守派が、結論だけ同じ「愛子天皇」の実現を訴えているわけである。

 この奇妙さは、実は天皇陛下が悩みに悩んで突然の譲位宣言にたどり着いた原因そのものだと言えるのである。

 陛下が平成22年(2010)7月22日夜の皇室参与会議で、「皇太子に譲位して私は上皇になる」と言いだし、仰天した皇后以下全員が反対したということが今ではよく知られている。

 この時点では陛下はまだ76歳で、公務ができないほどの高齢というわけではなかった。むしろその2年前に、ストレスが原因の不整脈や胃・十二指腸の炎症があり、宮内庁は「将来の皇位継承の問題などを憂慮」と発表している事実が重要だ。

 これは時系列で見ると真相が分かるという好例である。皇位継承問題の心痛は、その2年前に悠仁親王が誕生し、男系男子の若い継承者が出現したことで、国民も政府も一様に安堵の声を上げたはずなのに、陛下にとっては心痛の始まりだったのである。

 この男孫誕生の数ヵ月前、小泉純一郎首相の意を体した有識者会議の結論が公表され、愛子さまの即位を可能にする男系女子どころか、(父が天皇でない)女系女子まで容認するべきだとされた。

 この過激なまでの男女平等主義を、陛下は国民と政府の多数意見だと誤解したのではないかと思われるのである。そうでなければ、悩む理由はないはずだ。

 72歳の陛下は皇統の歴史を渉猟し、やがて「皇太子派」と「弟宮派」が皇統争いを展開する事態になる、と真剣に考え始めたのだろうと推測されるのである。

 その文字通り胃から出血するほどの試行錯誤の結果、たどり着いた結論が、なんと200年ぶりに「上皇」を復活させるという奇手だった。

 陛下の心中を忖度すると、「自分が上皇になっても在位期間はごく短いはずだから、空位になったらすぐ新天皇が新上皇になってもらいたい。そうすれば弟宮が即位して第3位の悠仁親王が正式に皇太子となる。これなら皇統の争いは起きない」という論理だろう。

 陛下は自分一代限りの特例法でなく、皇室典範の改正で譲位を正式化することを強く望んだと言われており、さらに現行の皇室典範にある摂政制度を強く否定したことも知られている。

 その理由が、これで分かったと言えるのではないだろうか。

 有り体に言えば、これは新天皇を「早送り」にするという提案である。現皇太子が納得するかどうかは推測のしようがないが、雅子妃殿下が新皇后になって体調がどうなるかという問題を抱え、また年齢の近い弟宮がいつ即位し、何年在位できるかというような問題を解決するにはこれしかない、という陛下の判断(御聖断)を尊重するのではないだろうか。

 陛下の深慮遠謀をなぜか安倍政権は受け入れず、一代限りの特例法、つまり生煮えの状態で皇統の問題を先送りにしてしまった。

 政府もメディアも、産経1社を除いて、「退位」と表現しているが、陛下は昨年12月の誕生日に記者団に対する文書で「私の譲位」と明記している。

 すなわち、主語は「私」で「私が位を譲るのだ」と国民に知らせている。政府は憲法上、天皇にはそういう権限がないとみなしている。

 その結果、田原総一朗、小林よしのり両氏のように左右の立場の両方に「愛子さま待望論」が生き残り、「皇統の安定的な持続」が気息奄々(えんえん)のままになってしまった。

 女性が天皇になれないのは時代錯誤だという主張は分かるが、実際問題として日本は華族・貴族を全廃してしまったので、女性天皇の「ムコ殿」の供給源がないということを、当コラムで17年も前に指摘している。(「女性天皇は机上の空論、なぜか?」01/05/22)

 この解決不可能な問題は、女性皇太子でも、一部で支持者のある女性宮家創設でも同じことである。

 ヨーロッパの王室が次々に女性を含む長子継承にしたのは、どこかに貴族のムコ殿候補がまだ残っているからである。
 日本は全く事情が違う。

 女性天皇が実現したとしても、結婚できなければ一代で終わってしまう。女性宮家でも同じだ。

 だから、女性天皇待望論は、机上の空論なのである。

 また、本家の直系が継ぐべきで弟宮は傍系になるという異議も生半可だ。なぜなら、200年前に最後の上皇になった光格天皇も、傍系の閑院宮家から選ばれて即位しており、その光格系が現在の天皇家なので、直系か傍系かという議論は成り立たない。

 徳川家が「御三家」をつくって家系の安定的な持続に成功したことを、日本国民は皆知っている。皇室に関しても、政府が音頭をとってそういう知恵を絞ろうと努力すべきだ。

 わずか数十年の価値観である「男女平等」と、125代続く「皇統」のどちらを優先させるか、というより比較するのも論外というべきではないだろうか。

(おおいそ・まさよし 2018/01/29)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column226.html


http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020019-n1.html

 

アウンサン・スーチー

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2018年10月 4日(木)19時24分46秒
  ロヒンギャ問題に関して欧米がミャンマー、その代表者の
『アウンサン・スー・チー』に対して批判の声が高まり、
カナダでは名誉市民号の剥奪が行われた。
ノーベル平和賞の剥奪をとの声に関しては、
さすがにノーベル財団も踏み込まなかった。

結論から言えば、ロヒンギャ問題に関して英国が原因であり、
そこまで人権問題が気になるなら、旧宗主国の立場として、
ロヒンギャを全員英国に移住させたらどうか?

スー・チーの立場は、それなりに理解はしているつもりであり、
この件に関しては当分の間は賛同はするつもりだ。

だが日本は、彼女を助けるべきではない。
東南アジアの経済連携のつながりで、訪日するそうだが要は金の無心。

脱亜入欧とは本来、中国と朝鮮のことをさした言葉だが、
東南アジア諸国もあまり信用の置けた国々ではない。

スーチーの父親は、祖国が苦境な時に日本に助けてもらいながら、
日本が敗戦濃厚とみるや、なんと『侵略者である英国に味方』し
日本を土壇場で裏切る真似をしました。

彼の最大限の擁護・理解をするなら、英国だろうが日本だろうが外国人。
そういってしまえば、そうだろうが日本が英国を攻撃しなければ、早期の
ミャンマー独立もなしえなかった。

実際、英国に味方しても案の定、約束は反故にされた。
英国側から見てもアウンサンは裏切り者。

日本を裏切った報いか、その後暗殺されたがざまーみろ!の一言である。
その裏切り者の血を引く娘であるスーチー。やはり血は争えないのか、
祖国の侵略者である英国人と結婚!欧米で教育を施されたせいか、
日本のことは『アジアの敵』だとよ。

そんな欧米に利用されつつ、利用してミャンマーの最高権力者に成り上がったスーチー。
ついこの間までは、『ミャンマー民主主義の象徴・ミャンマーのジャンヌダルク』
ともてはやされた面影はなく、よりにもよって中国共産党が支配する中国に接近!

強かと言えば強か、機を見るに敏、変幻自在、立ち回りが上手い、弱小アジア
国の政治家の特徴を全て内包しているが、結論から言えば信用のできない輩。

こうすることしかできなかったんです・・・・などと、どこかのくだらない犯罪を
犯した犯罪者のセリフが似合うが、そんな哀れなミャンマーを支援した日本はたまらない。

もちろん、日本もなんでも嫌がる必要はない、最初から打算と計算づくで付き合えば、
むしろこの手の女を操ることができよう。それこそ『大英帝国』の他民族抑圧政策を
学ばなければいけない。
 

日英同盟の再構築と対中政策

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2018年 9月27日(木)20時57分57秒
  いま英国が日本に熱い視線を送っているという。
EU離脱後の英国の『弱体化』に備えた政策の一環。

日本としても米国以外の国との同盟関係は歓迎したい。
特に対中政策に関しては新・日英同盟で臨みたいところ。

英国に関して言えば『脱欧入亜』だそうで、嘗ての同盟国、
同じ島国であり、民主主義陣営である日本と再び手を結ぶことは
容易であり、太平洋における権益の確保の意味もある。

考えてみれば、明治以降、英国と組んだことは当時の日本にとり
極めて有益な事であった。英国のおかげで日本海軍の基礎ができ、
世界有数の艦船技術を持てたのも英国のおかげ。

日露戦争で、直接的な軍事支援はなかったものの、ロシアのバルチック艦隊を
当時の植民地の各港で燃料補給拒否や入港拒否をして、疲れさせて日本を優位に
してくれた功績もある。

現在、世界で『エンペラー』の称号を保有するのは、我が国の天皇陛下だけだが、
これも、当時の英国が英国領・インドにおいて、英国女王が『インド皇帝』になっていた
事で、日本と英国が同盟を結ぶうえで、お互いの国家元首を対等に扱う外交儀礼上、
天皇を『エンペラー号』で読んだことで、英語圏においては全て『皇帝』と訳される
ことに由来するという。

英国が日本を求めているなら、日本も英国を求めているのである。

本来『侵略戦争』であった、英国による『阿片戦争』を思う。
幕末の日本に多大なる緊張と恐怖を与え、大国・清王朝の弱体化は
強いインパクトを与えたが、現在の中国の覇権主義を見れば、この
『不当な侵略戦争』すら、肯定する感情が芽生えるようになりました。

当時と現在とでは比べる土壌が違いますが、いっそ中国大陸を完全に
欧米列強に完全に支配させ、徹底的に中国をいまのアフリカ並みに
しておけばよかったなと愚考する。

すなわち、漢民族と満州族は言うに及ばず、モンゴル系、ウイグル系、
チベット系、朝鮮系など中国大陸全ての諸民族をお互いにいがみ合わせ、
国を分割しておく。いつまでも、中国が統一しない状況を作っておく。

現在の世界の民族紛争、宗教紛争、領土問題の殆どは英・仏・蘭・葡萄牙・西班牙絡み。
しかし、植民地支配をするなら、ただしく『先生方』に学ばなければ日本はいけなかった。

インドネシアが、オランダやフランスに報復しようとしていますか?
インドとパキスタンが英国に報復しようとしていますか?
フィリピンが西班牙、米国に報復しようとしていますか?
イスラエル及びパレスチナが英国に、改めて保証を求めていますか?
ミャンマー、ベトナムなどの東南アジア諸国、南米諸国、アフリカ諸国が
欧米に復讐をしようとしていますか?

日本は朝鮮半島の支配を英国やオランダに学ぶべきでした。
当時はそこまで考えが至らなく、よりにもよって皇民化政策を
してしまった!!!なんという間違い!

『両班体制』を維持させたまま時代錯誤の、封建体制を維持して
直接統治を日本人がしないで、朝鮮人か中国人にさせておけばよかった。
結果は、『逆恨み』されただけで感謝の念がなく、謝罪ニダと
賠償ニダ!日本も関りを持たなければよかった民族といたずらに
半島を併合したために、多くの不逞朝鮮人を神聖なる我が国に
住まわせる事態に。

やはり脱亜入欧。アジア諸国を助けたとて日本にさしたる利益はない。
アウンサン将軍は日本を裏切り、愛新覚羅家は日本に感謝の念がない。
その後お互い亡びる結果に。日本はもっと意地悪くなりましょう。  
 

安倍総理の完全勝利と石破茂の完全敗北

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2018年 9月20日(木)21時32分19秒
  安倍総理の3選確実の情勢で、党員の『票数200』
を超えれば善戦とか急にマスゴミが言い出した。

根拠は?810票のうち300にも満たないのだけど・・・・・

結果安倍総理の勝利で、負けた石破茂は254票を獲得した。

安倍総理と石破茂の総裁選の結果。

前回の議員票では54:34 安倍総理

地方票では87:165 石破茂

決選投票に持ち込み108:89。安倍総理

今回は議員票で329:73で安倍総理の圧勝。

石破茂頼みの地方票。地方票300票より
更に105票も制度改正で配分が増えたが、
224:181で逆に大きく票を減らして安倍総理に逆転された。

あれっ?石破ちゃん、喜んでいいの?地方票が16票しか増えていないよ。。。。。
むしろ前回より結果が悪くなったと思わないのだろうか???

※前回は町村氏、石原伸晃、林氏の3名と安倍氏、石破氏の5名による総裁選。
町村、石原、林の3名の投票数は表記していません。
 

平成の御世は日本衰退の御世か

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2018年 9月 6日(木)20時59分26秒
  本日の午前3時に北海道で震度7の地震が起こった。

震度は大きかったものの、現時点において
東日本大震災や阪神大震災級の被害には及んでいないので、
まだ不幸中の幸いといえようか。

お亡くなりになられた方も、数名いらっしゃるようで、
これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。

平成の御世も間もなく、終わろうとしているがそれにしても
平成の御世は日本の衰退、凋落、わずか30年の間に数度にわたる
震度7級の地震の頻発と、戦争こそ無いものの、けっして安穏として
いられる御世ではありませんでした。

昭和の時代は戦争があり、ましてそれが敗戦。昭和初期には東北で飢饉と
昭和の東北震災もあり、伊勢湾台風に続く大型台風の被害など、昭和の
戦災・震災も被害が甚大でありましたが、それでも昭和と平成の違いは、
戦災・震災の爪痕を見ることが、ほとんどないか、災害の後遺症が殆ど
ないこと。

何が違うのだろうか?

不敬であるとか皇室反対論者、非国民やら売国奴、似非愛国者と言われそうだが、
正直、根本的な問題は『今上陛下と美智子皇后』にあるのではと、近頃考えるようになった。

今上陛下が即位して以来、バブル崩壊、長期の平成大不況、雲仙普賢岳の噴火、経済大国2位から3位に、阪神大震災、三陸はるか沖地震、中越地震、東日本大震災、熊本大震災、そして今回の北海道震災。いずれも震度7クラスの地震の頻発。

中国の台頭と北朝鮮危機。

少子高齢化、日本企業の凋落、皇室においても、有史以来の男系皇子の減少。
東宮妃問題、旧宮家の復帰問題などなど、列挙すればキリがないほどの
『皇国の危機』が多数散見される。

そういえば、今上陛下は即位以来、一度も靖国神社を親拝されていない。
無能な政治家が、知恵を出さずに解決できず政治問題にしてしまった
責任はあるが、退位後も靖国に赴かれるご予定はないのだろうか?

崩御された後は大喪の礼の経費を削減せよとか、
これまでの土葬から、経費を削減するために火葬にするとか、
誠に素晴らしい心がけではありますが、皇室の権威・威厳を低下させ
るような事態は避けていただきたいものです。『気さくで庶民的』という事と
『権威を感じられず、安っぽい皇室』ではあまりにも残念ですので。
 

外国の軍事政権によって起草され、日本国民に押し付けられた公文書

 投稿者:YoJi  投稿日:2018年 9月 3日(月)10時44分19秒
  >(読者の声3)古雑誌を整理していて、月刊文春2005年10月号、ミルトン・エスマン氏(コーネル大学名誉教授)による「『押しつけ憲法』と民主主義」という小論に目が留まった。

 エスマン氏は、1945年10月にGHQ民生局に着任。日本国憲法起草作業の中心的人物であったケーディス大佐の下で働いた方である。

 次のように述べておられる。
「民生局が日本に残した最も大きな足跡は、やはり46年の新憲法の起草である(私は行政権を担当する小委員会に加わった)。マッカーサー元帥の指令の下で、わずか9日間で極秘裏に起草され・・・・微小な専門的修正を施しただけで後に国会で制定された。・・・・・・・・憲法草案に関わった七つの小委員会を見事にまとめあげた(ケーディス)大佐は、極めて聡明かつ人間味溢れる人物で、『46年憲法の父』と呼ばれるにふさわしい人物だと思う。ただし、戦争を放棄した憲法9条は、マッカーサー元帥が自ら口述したものだ。」

「当時まだ27歳に過ぎない私だったが、行政権に関する草案作りに参画できたことを意気に感じ、権威主義的な明治憲法が日本国民に民主主義と人権を付与する公文書に取って代わられることを嬉しく思った。しかし、憲法の草案が極秘裏に、しかも日本人が一人も参加することなく準備されたことは釈然としなかった。だから私は、新憲法はおそらく占領が終わるまで持たないだろうと予測した。新憲法が外国の軍事政権によって起草され、日本国民に押し付けられた公文書であることは、誰の目にも明らかだったからである。」

 マーク・ゲイン著『ニッポン日記』(原書初版は1948年、邦訳初版は1951年秋)でも、「この憲法で何より悪いのはマックァーサー元帥自身が書いたという軍備放棄に関する規定である。・・・・・・・・・占領が終りさえすれば、日本が何らかの口実をもうけて(under one pretext or another)自らの軍隊(their army)を再建することは誰しもが疑い得ないことだからだ。日本では地震が避けられないのと同様に、これは不可避なことだ。・・・・・・マックァーサー元帥の日本における最大の記念碑は、彼の肉体的生命ののちまでも生き永らえぬかもしれぬ。」と述べられているのは、エスマン氏とほぼ同旨であるが、エスマン氏が、「憲法の草案がわずか9日間で極秘裏に起草され、しかも日本人が一人も参加することなく準備された」と明言されていることは、起草に関わった内部者によるものだけに重要であろう。

 『ニッポン日記』のちくま文庫版では、中野好夫氏が解説(1963年執筆)の中で、1951年の出版後、緒方竹虎氏からの「最近これほど面白く読んだ本はありません。ことに憲法改正の時の内輪話は、敗戦国の何ものたるかを露骨に語るもの、実は今まで、これほどとは思っていませんでした。感慨無量であります」という読後感が届いたことを紹介されている。

  中野好夫氏は「今でこそ日本国憲法成立までの歴史などは誰にでも簡単に知れる公知の事実になってしまったが」と書かれているが、1963年からさらに40年以上を経過した時点でのこのエスマン氏の小論など、「誰にでも簡単に知れる公知の事実」ということで、掲載当時は大きな話題にもならなかったのだろうか?

最近に至っても、「立憲主義」などと声高に主張する方々は、こうした憲法成立の経緯が「誰にでも簡単に知れる公知の事実」だと承知した上で立論しているのだろうか?

成立経緯より内容こそが肝要だと言われるかもしれないが、占領軍によって、「草案がわずか9日間で極秘裏に起草され、しかも日本人が一人も参加することなく準備された」という内容を物神化する?というのは、あまりにも没主体的ではないだろうか?

 小生は、この月刊文春2005年10月号には中西輝政氏が「宰相小泉が国民に与えた生贄」という論文を寄せられていることから保存していたのだが、エスマン氏の文中では、「権威主義的な明治憲法が日本国民に民主主義と人権を付与する公文書に取って代わられる」「新憲法が外国の軍事政権によって起草され、日本国民に押し付けられた公文書である」と述べられている。

この「公文書」というのは、原文ではいかなる用語が使われているのだろうか?
「明治憲法が公文書に取って代わられる」という表現は、現憲法の成立経緯と内容の軽さを文字通りに示しているように私には思える。
(CAM)

(宮崎正弘のコメント)文藝春秋の古き、よき時代。嗚呼、あの雑誌の命脈は尽きようとしています。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)9月3日(月曜日)
通巻第5813号
http://melma.com/backnumber_45206_6728927/


http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020019-n1.html

 

米国は「東洋にヒトラーの代役」を捜しあてた

 投稿者:YoJi  投稿日:2018年 8月29日(水)08時55分48秒
  >ヒトラーはルーズベルトの挑発をことごとく黙殺した。
 米国は「東洋にヒトラーの代役」(つまり戦勝国史観の悪役)を捜しあてた

チャールズ・カラン・タンシル/渡辺惣樹 訳『裏口からの参戦』(草思社)

 副題は「ルーズベルト外交の正体 1933-1941」である。分厚い翻訳本、しかも上下二巻。渡辺惣樹氏の名訳。斯界に衝撃を与え続ける翻訳者は、どうやって、このたぐいの名著原典を探し出すのか、不思議である。

 本書は1952年に「戦勝国史観」に対するアンチテーゼとして刊行され、米国の歴史学界において、一部の歴史学者からは高い評価を得たが、ルーズベルト大統領一派は、攻撃、侮辱を重ねて、本書を排斥した。チャールズはジョージタウン大学などで教鞭を執ったが、晩年は左翼からの罵倒によって恵まれない環境のなかに生涯を終えた。

 真実を言う学者は、どの世界でも冷遇されるものである。
 しかし66年ぶりに日本で甦ったのだ。

反日家だったルーズベルトは、国民世論が絶対的に参戦反対というムードの中で、じつは軍の高層部も日本との戦争には反対だった。それならば、謀略を仕掛けて日本に真珠湾攻撃をしでかすように仕向け、まさに「裏口」から第二次世界大戦へ雪崩れ込んだ。その具体的なルーズベルト政権の騙しの方法がどうであったかを歴史を溯って詳述する。

 まずドイツだった。しかしルーズベルト外交の裏の意図をヒトラーは戦略的に先回りして、読んでいた。

ヒトラーはアメリカの挑発に乗らなかった。黙殺したのだ。

 反日戦争屋のスティムソンが、1940年に陸軍長官となった。矛先は明瞭に日本に向けられた。

スティムソンは、日記にこう書いた。
 「問題はいかにして日本に最初の一発を撃たせるかである。もちろん、それが我々にあまりにも危険であってはならないが。。。」
 その翌日にハルは日本に最後通牒を突きつけたのだ。

ヒトラーが拒否した役回りを日本の政治家にふることをルーズベルトは決めた。
 「ルーズベルトはシグナル役を東洋に見つけた。そして真珠湾攻撃が起きた。彼が待ちに待った死の曲を演奏するシグナルとなる事件を日本がおこしてくれた」。

 直前までの和平交渉からハルノートへいたるまでの表向きの歴史は、すでに多くが語られた。日本が戦争回避に必死だったことは誰もが知っている。
問題は「語られなかった」水面下の動きだった。

米軍は「天気予報」の暗号で「東の風、雨」というダミー暗号から、日米開戦が不可避となってことを事前に知っていた。これらの詳細は本書にあたっていただくことにして、真珠湾攻撃当日、次のホワイトホウスのなかの動きの描写はきわめて印象的である。

「真珠湾攻撃の報が届く前のホワイトハウスの執務室は穏やかだった。外から入る電話を遮断していた。大統領は、切手のコレクションを静かに整理し、ポプキンズは大統領の愛犬ファラと戯れていた。そして運命の午後一時が過ぎた。しばらくして日本軍による真珠湾攻撃をしらせる報が届いた。そうしてアメリカはあの大戦に引きずり込まれた。そして大戦が終わった今も、共産主義国と戦い続けている有様である」

翻訳者の渡辺氏はフーバー大統領の『裏切られた自由』、フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』の翻訳もこなしたが、この本をもって日本人インテリに『是非読んで欲しい三部作』としている。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)8月29日(水曜日)
通巻第5805号
http://melma.com/backnumber_45206_6726663/

https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%8F%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%8F%82%E6%88%A6-%E4%B8%8B-%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E5%A4%96%E4%BA%A4%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%931933-1941-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AB/dp/4794223498/ref=sr_1_fkmr0_1?ie=UTF8&qid=1535500171&sr=8-1-fkmr0&keywords=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AB%EF%BC%8F%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%83%A3%E6%A8%B9+%E8%A8%B3%E3%80%8E%E8%A3%8F%E5%8F%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%80%8F


http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020019-n1.html

 

70年±α

 投稿者:YoJi  投稿日:2018年 8月16日(木)12時49分27秒
  ソ連邦
1922+69=1991 ソ連邦消滅
中共
1949+70=2019 誤差3~5年 中華人民民主主義共和国消滅?(希望的観測)
日本
1868+70=1938 誤差+7年 大日本帝国消滅
1945+70=2015 誤差3~10年? 第二次大戦 戦後体制消滅?(希望的観測)


http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020019-n1.html

 

日本占領と「敗戦革命」の危機

 投稿者:YoJi  投稿日:2018年 8月13日(月)08時25分15秒
  http://melma.com/backnumber_45206_6720629/
>トルーマン政権内部でも占領政策をめぐっての確執があった
最後にウィークジャパン派が敗退して日本の共産化が回避された秘話

江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)

 あわや、日本にも全体主義国家に転落する危機が現実にあった。敗戦と戦後の秘話である。

 日本が北朝鮮や中国の全体主義体制のように「地獄」に陥落し、愛に満ちた日本社会を破壊し、大切な人間性を踏みにじり、独裁権力のために個人を犠牲にする。

そうした自由のない社会を画策する動きがあった。

国際的な謀略組織コミンテルンが潜り込ませた工作員達が、FDR政権を引き継いだトルーマン政権に陣取り、しかもGHQに浸透していたのだ。

その経過は百も承知してきたが、本書の特徴は新しい観点で現代史を見直したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだんに駆使され、より迫真性に富むことである。

 そもそも共産主義は、まともな軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという正攻法を用いない。もっとも卑劣な手段を講じて国家を簒奪するのだ。

 それは「(1)自国政府の敗北を助成する(2)帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること(3)民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるがゆえに、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」だと江崎氏は解説する。

 つまりコミンテルンの戦略とは、第一に日米英を戦わせる。第二にとくに、米国を用いて、日本を敗北させ、第三に日本を混乱させながら共産革命政権を樹立し、『戦争は手段、目的は革命』と実行するのだ。

日本を全体主義国家に転落させ、共産主義の独裁権力をもって人間を支配し、日本人をロボット化させて、革命の奴隷とすることにコミンテルンの目的があった。

 だからルーズベルト政権にはおよそ300名のコミンテルンの工作員が紛れ込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を誘発し、戦争後は日本に共産革命政権を樹立することにあった。

 しかし米国政権にはコミンテルンの謀略を見抜き、反対した勢力があった。FDR政権内部、そして敗戦後日本を占領したGHQの内部でウィークジャパン派とストロングジャパン派の死闘が繰り広げられていた。

 このGHQの内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇人』で、最初に指摘したが、日本の論壇はとくに注目もしなかった経緯がある。

 コミンテルンが最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。暗号通信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。

 これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかとなったが、「ヴェノナ文書」の公開により、より確定的な、強い証拠が揃ったのである。

 驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か三ヶ月して、アメリカでは日本の戦後処理を検討する特別チームが組織化されていたことである。

 もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。

 「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主義者が深く浸透していた。共産主義者の浸透に警戒していたにもかかわらず入り込まれた、というわけではない。共産主義者を積極的に迎え入れたのだ」(92p)

 OSSとはCIAの前身である。なんとCIAは誕生時に、反共ではなく、容共だったとは!

 敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開されていた。この経緯も殆ど知られていない。

 無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だったのだ。
ウィークジャパン派(ヒスやハル、ホワイトら)とストロングジャパン派(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体が是か否かをめぐるもので、圧倒的に共産主義側が強く、トルーマン大統領も、この基本線で固まりかけていた。
 ヒス、ホワイトらウィークジャパン派の陰謀を粉々に砕いたのは、結果的に日本軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。

ペリリュウ島でアンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。日本のあまりにも強靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛とによって、アメリカ兵の犠牲は鰻登りとなった。アメリカは怯んだ。日本の軍人の強さに怯懦が生まれ、ストロングジャパン派の勢いが増す。

 他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのは占守島の死闘だった。ソ連軍に多大な犠牲を与え、これによって日本は南北に分断された朝鮮半島のような国家分裂という悲劇、全体主義国家への転落を食い止めることが出来たのだ。

 同時にトルーマンが目撃していたのは、味方の筈だったソ連軍が東欧に電光石火と軍を進め、1944年二月から十二月にかけてバルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが、そしてバルカン半島でもユーゴスラビアとアルバニアが次々と共産化されてしまったという『あり得ない現実』だった。

 ソ連に対するアメリカの認識は激変した。

 もう一つ重要な要素は、昭和天皇のインテリジェンスだったことを江崎道朗氏は適格に指摘する。

 すなわち陸軍参謀本部からあがってくる情報いがいのルートを昭和天皇はお持ちだった。その決定的な情報がアフガニスタンとダブリンの在外公館からとどき、参謀本部を通さずに天皇陛下にもたらされた。

トルーマンは、無条件降伏から有条件に転換し、天皇制を守護する方針に切り替えていたことを昭和天皇は事前に掴んでおられたのである。

そのうえで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、「進んでマイクに立つ」と仰せになり、またマッカーサーとの会見では、この身はどうなろうとも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。

共産革命を目前と計測した日本の共産主義者らが企んだゼネストはマッカーサー命令で回避された。日本の共産革命は不成功に終わり、全体主義国家への転落は、こうして回避できたのである。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)8月13日(月曜日)
通巻第5789号
http://melma.com/backnumber_45206_6720629/


http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020019-n1.html

 

レンタル掲示板
/113